「“できない学生”はいない。伸ばし方が違うだけ ― 教員として悩んだときに読む話」

教員コラム:現場と教室の間で

授業や実習の場で、どうしても気になる学生っていますよね。
何度説明しても理解が追いつかない。返事はしてくれるけれど、実際には伝わっていない。
課題を出しても、ほかの学生より提出が遅い。記録に何度も赤を入れても、変わらない。
そういう学生と向き合っていると、
「どうしたら伝わるんだろう」「自分の指導が悪いのかな」と、つい自信をなくしてしまいます。

ときには、他の教員や実習指導者と話す中で
「やる気がないのでは?」「学習意欲が低いのかもしれない」と言われてしまうこともあります。
でも私は、それでも信じたいと思っています。

“本当にその学生は「できない」のでしょうか。”

「できない」というラベルの裏にあるもの

私たちは、看護という専門性の高い分野を教えています。
学生には、観察力、判断力、倫理観、共感力、技術、記録力――
本当にたくさんの力を求める教育です。

だからこそ、「できているか」「できていないか」の差がはっきり見えてしまいます。実習評価でも、技能試験でも、課題提出でも。どこかで“線”を引かなければならない場面が、どうしてもあります。

でも、その「できていない」ように見える背景には、
・緊張で思考が止まってしまう
・質問の意図がわからない
・自信がなくて自分の考えが言えない
・学習のやり方がわからない
・生活背景や精神的ストレスが学習に影響している
といったさまざまな事情があるかもしれません。

私はいつも、「今、この子が『できていない』のは、どうしてだろう?」と立ち止まるようにしています。それは、評価の甘さではなく、教育者としてのまなざしだと信じています。

表面の「できなさ」に隠れているもの

たとえば、記録が書けない学生がいるとします。
記録を見て、「観察できていないな」「思考が浅いな」と感じたとき、
本当に観察していないのか、あるいは思考が浅いのか――
少し立ち止まって想像してみることがあります。

実際には、「どう書いたらいいかわからない」「自分の言葉でまとめるのが苦手」「思考の整理の仕方がわからない」だけかもしれません。
提出物を見ているだけでは、その子がどれほど考えたかはわからない。
言葉にできなかった思考が、心の中にぐるぐると残っているかもしれないのです。

指導の中で「図にしてみる?」「箇条書きで一度整理してみよう」と投げかけると、
ふと、表情がやわらぎ、「これならできそう」と前向きに変わる学生もいます。

“できない”という状態は、「まだできる方法に出会っていないだけ」かもしれない――
そう思うようになりました。

「できない学生」はいない。ただ、伸ばし方が違うだけ

この経験を通して、私は一つの確信を持ちました。「できない学生」は、いない。ただ、教える側がその子に合った方法を見つけられていないだけかもしれない。

それは「教員の努力不足」という意味ではありません。私たちは多くの学生を同時に支援しており、完璧な対応など不可能です。でも、少しだけ立ち止まり、「その学生に合うやり方」を考えてみることで、見えてくる世界があります。

ある学生には、図解が合っているかもしれません。ある学生には、口頭で整理する方法が合っているかもしれません。ある学生には、一対一の短時間フィードバックが、驚くほどの効果を生むかもしれません。

「この子に合うやり方ってなんだろう?」と問い直すことは、決して「甘やかし」ではなく、個別性を大切にした“看護教育”そのものだと思うのです。

「諦めないまなざし」が、学生を支える

教員としてやっていく中で、自分を責めたくなる瞬間が何度もあります。
「自分の指導のせいで、学生が自信をなくしていないか」「もっと他の先生なら、うまく導けたんじゃないか」

でもそんなとき、私はこう思うようにしています。“あなたが悩んでいること自体が、すでにその学生の力になっている”と。学生は、驚くほど教員の姿勢を見ています。
言葉にならなくても、「この先生は、ちゃんと私を見てくれている」と感じ取っています。
だから、どうか諦めないでください。

教員がその学生の可能性を信じることは、その学生が自分の力を信じるための第一歩になるのです。

最後に

今、「この学生、どうしたらいいのかわからない」と感じている方へ。その問いかけは、すでに教育のスタートです。あなたのまなざしがある限り、学生は前に進むことができます。

「できない学生」は、いません。
ただ、伸ばし方が違うだけ。

今日もうまくいかなくても、明日また違うアプローチを試してみましょう。私たち看護教員の仕事は、正解を与えることではなく、“可能性の芽を一緒に探すこと”なのかもしれません。