「頑張っているのに、報われない」
「誰にも本音を言えない」
「現状を変えたいと思っても、言い出せない」
そんな“見えない壁”に、あなたもぶつかったことはありませんか?
私は、臨床で看護師として働いていたときも、看護学校で教員として働いている今も、「閉そく感」に何度も直面してきました。今回は、この感覚の正体について、あえて言語化してみたいと思います。
報酬と労働環境の“ズレ”
看護師の仕事は、命を預かる重責が伴います。なのに、それに見合った報酬かと言われると…疑問が残ります。
夜勤、残業、急変対応、患者・家族対応、委員会、勉強会。どれも「やって当然」という風土の中で、精神的にも体力的にも追い込まれる。それでも「給料は我慢料」と自分を納得させてしまう看護師は少なくありません。
看護学校の教員も同様です。準備・記録・学生対応に多くの時間を割いても、それが労働時間として正しく評価されていないケースは多いです。「教員は定時で帰れていいね」と言われるたび、虚しさと無力感を覚えたこともあります。
閉じた人間関係と「空気を読む」文化
看護の世界には、「チームで動く」ことが強く求められます。その反面、「異論を出しにくい」「上下関係が強い」「忖度が常態化している」など、人間関係が硬直化しやすい面もあります。
若手が意見を言いにくい
ベテランの意向が絶対
“空気を読めない人”は浮く
こうした雰囲気が続くと、誰も本音を語らなくなり、関係性は「穏やか」でも「閉じて」いく。そして気づけば、働く人たちの表情から生き生きとしたエネルギーが消えていきます。
教育現場にも根づく「前例主義」
看護学校でも同じような閉そく感があります。
「それ、今までやったことないから」
「うちの学校のやり方じゃない」
そんな言葉が、新しい試みや創意工夫の芽を摘んでいく。教員が疲弊し、学生も“やらされ感”のまま卒業していく──教育が“命を育む場”でなくなるのは、とてもつらいことです。
小さな「問い直し」が、閉そく感を破る鍵に
この閉そく感を、今すぐ劇的に変えることはできないかもしれません。でも、日々の中で「本当にそれでいいのか?」「誰が得していて、誰が苦しんでいるのか?」と問い直すことはできます。
・当たり前を疑う
・本音を小さく言ってみる
・閉じた場に、少しだけ風を通してみる
それが、少しずつ閉そく感をほぐしていく第一歩になるのではないかと思っています。
おわりに:言葉にすることで、変化は始まる
私はブログを通して、看護や教育の現場にある“声にならない違和感”を言葉にしていきたいと思っています。
「どうしてこんなに苦しいんだろう?」
「もう少し、希望を持って働けないだろうか?」
そんな問いを抱える誰かに届けば幸いです。
あなたの感じている閉そく感は、あなただけのものではありません。