上の教員は指導案の1つでも公開したらいいのに

看護教員の雑記blog

看護教育の現場で働く多くの教員は、毎年のように教材をゼロから作り、試行錯誤を繰り返しながら学生と向き合っている。授業の準備に費やす時間は、想像以上に膨大だ。

にもかかわらず、「参考にできる教材」は意外と少ない。特に、有名な看護教員たちが作った指導案や授業スライドは、なぜか外に出てこない。せいぜい出版された書籍や有料の研修資料で少し見るくらいです。

「上に立つ教員は、せめて指導案の1つでも公開したらどうだろう?」

有名教員の“知”は、なぜ共有されないのか?

看護教育界には、名の知れた有名教員がいる。
全国で講演をし、書籍を出し学会で大きな顔を持つ。
たしかに実績もあり、知識も深い。尊敬されるべき存在かもしれない。


そういった「上の教員」たちが作った教材は表に出てこない。

下の教員は、常に手探りで戦っている

いわゆる「下の教員」はどうか。
配属されたばかりの新任教員、非常勤の講師たち。
みんな、限られた時間と資源の中で教材を作っている。
ネットで情報を集め、知識をアップデートし、学生の反応を見ながら試行錯誤している。でも、「指導案のテンプレートがほしい」「他の学校ではどう教えてるの?」そんな声は、現場にはあふれている。

一部でもいい。開いてくれるだけで救われる

別に、すべてを公開しろとは言わない。
1回分の授業だけでも、シェアしてくれたらそれだけで、どれだけの教員が救われるか。

下の教員が良くなれば、学生が育つ。
学生が育てば、看護の未来が変わる。
それを理解しているからこそ、有名教員は「自分の知」を共有すべきだと思う。

“囲い込む文化”から、“開く文化”へ

今の看護教育界は、明らかに「囲い込み型」だ。
教材も知識も、学会のポストも、ある程度の立場に行かないと手に入らない。その構造が、下を育てない原因になっている。

本来、教育とは共有だ。看護とは、伝えることだ。
「自分だけが知っている」「自分だけの教材」そんな姿勢では、何も変わらない。

だからこそ、自分の教材、指導案、実践知を、惜しまず公開する。
それが、次世代の教員を育て、ひいては看護教育全体の底上げにつながります。

最後に:静かな願い

現場で悩みながら模索を続ける教員たちは、実は誰かの知恵や経験に手を伸ばしたいと感じている。
けれど、その思いは届きにくく、見えない壁が存在しているのが現実だ。

だからこそ、経験ある教員や教育をリードする立場にある方々に、こう伝えたい。「どうか、あなたの知を開いてください」

今、求められているのは“完璧な答え”ではなく、“学び合える関係性”なのかもしれません。